彼が来てから、 「あやちゃん」と「あやこちゃん」は、 急に僕につめたくなった (回想モードによる一人称の変化)。 集団登校(うちの小学校は毎日そうだったのだ)の時には、 距離をおいて歩くようになり(ちなみに幼稚園児はバス通学だったが、 小学生は徒歩通学なのだ)、全く口を聞いてくれなくなった。 彼女たちの新しい話し相手は則幸であった。 大人しい、依存心の強い甘えん坊な子供だった私と、 活発で自発的な子供だった則幸とでは、どちらがつき合いや すかったかを今になって考えると、当然則幸であろう。 本当の所は良くわからないけれど。
ああ、でも、それくらいだったら何ともなかったんだ。たぶん。
その後、仲良くなった三人は、グループになって僕に冷たくした。 僕の追い付けない速度で走って登校したり、 どういう言葉かは忘れたけれど、いやな言葉を浴びせかけられたり、 それらの行為を上級生にも広めたり、ああ、他にも何かあったような、 まぁよい、人間は嫌なことは忘れるようにできておる。
つまり、軽い「いじめ」だ(今流行ってる「いじめ」とは質も量も違うと 思うので、この言葉を使うのは少々抵抗があるのだが)。 今にしてみれば些細なことだが、子供心に大変傷ついたのを覚えている。 僕はなんとかして自分の存在を主張しようと、学校で友達を 作り、学校にいる時は楽しく過すことができたが、 いつも考えることは、 「なんとかして則幸をギャフンと言わせられないものか」 だった。
長い前置きだったが、ここで内世界シミュレータが登場する。
則幸は口喧嘩が強かった。彼と言い合いになると、 私は必ず負けていた。 そこで、私は彼の言った言葉を心の中で繰り返し、 あらゆる言葉に対して、 どのように言い返すかを考えていた。 いってみれば、自分の頭の中で、 仮想的な則幸と口喧嘩をしていたのだ。ものすごく真剣に。
冷静に仮想口喧嘩をすると、彼の言う言葉はちっとも恐くなかった。 自分の好きなように情報を加工していた、という側面もあるが、 私は彼の口調・雰囲気におびえていて負けていたのだった。 私はその時点で内世界シミュレータを止めた。あいつは賢いから口喧嘩が 強いのではなく、口喧嘩の雰囲気が痛々しい可哀想な奴なのだ、 という結論に達したからだ。
その後、相変わらず彼の口喧嘩の雰囲気に押されて負け続けたが(今も負 けるかも)、時間が立つにつれて少しずつ自分が楽になり、彼も変わった。 ぎこちない友情も芽生えたが、 中学生ぐらいになるとお互いに口を聞かなくなった。 ぎこちない友情がそのまま引きずるのは邪魔だっし、 あいつと俺は違う人間なんだ、という認識、他人と自分を区別する、 よーするに自我の目覚めとともに、私は彼が何をしようとも「ああ、そう」 という気分になったし、おそらく彼も、私のことなんて どうでもよくなったのだろう。
まぁ、事あるたびに、 私は内世界シミュレータを起動 してきたのだが、 もしかして私が、最近の「いじめられっこ」のように自殺しなかったのは 内世界シミュレータのおかげなのかな。 そうかー、俺って、親から超高性能の内世界シミュレータ継承したんだなー、 感謝しなくちゃなー、未だにスネかじってるしー。 内世界シミュレータも一つのオブジェクトで、メッセージを受けとって、 時々刻々と変化するのであれば、成長するのであるならば、 その成長を促したのは、則幸なんだね。
・・・すべてのいじめっこに「ありがとう」といわなければね。
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